◆町会の概要

松波会館
  • 町会が作られた目的
    町会員の皆様が仲良く安心して住める様、地域の生活環境の改善と防災等に努めると共に、行政とも協力して住民のための町づくりを行うことを目的として作られました。
  • 町会への加入方法
    千葉市中央区松波に居住する住民又は事業所の持ち主は、入会申込書を公民館窓口に提出すれば、町会に加入出来ます。なお会費は月300円で、何か月分を集めるかは所属する班(後述)ごとに異なります。
  • 区分け
    町内を1区(1丁目)、2区(2丁目)、3区(3丁目)、4区南(4丁目1番~12番)、4区北(4丁目13番~23番)の5区に分けられています。
  • 班分け
    各区は更に地番に応じて班に分けられており、皆様はいずれかの班に所属することになります。
  • 班長の役目
    各班ごとに順番で班長の役が回って来ますが、周期は班ごとにルールが異なります。
    班長の役目は、
    ①理事さんから配られる回覧物を、回覧板にはさんで各々の班内に回覧すること。
    ②何らかの募集があり、応募者の名簿に記名が有った場合には、松波会館に届ける。
    ③町会費など、何らかの集金当番に該当した場合は、班員から集金をして松波会館に届ける。
  • 町会理事の役割
    各区ごとに7名~10名の範囲で地区を代表する理事を選出し、理事会で町会の諸方針を討議、決定をすると共にそれを実行する。任期は4月から翌年3月までの1年。
    理事の仕事をもう少し詳しく。
    ①毎月末の土曜日に開催される定例理事会に出席し、報告、討議を行う。
    ②総務部、文化福祉部、防犯防災部、環境衛生部のいずれかに所属し、部長の指示に従って活動する。
    ③区長さんから配られる回覧物を、担当する班の班長さんに配布する。
    ④お祭り、その他の町会が関係する行事を手伝う。
  • 町会役員の構成
    ①会長
    ②副会長 若干名
    ③会計 2名
    ④部長 4名
    ⑤副部長 4名
    ⑥区長 5名
    ⑦広報委員長
    ⑧理事 各区から7名~10名
    ⑨監事 2名
    理事の中から①~⑦の役員が選出される。⑨監事は理事以外の町会員から選出され、①会長、②副会長、⑨監事は総会の承認が必要。
  • 町会が係る行事
    町内の各団体と協力し、次の様な行事を行っています。
    ①夏祭り
    ②敬老祝賀会
    ③防災訓練への参加(松波自主防災会、災害避難所)
    ④親睦バス旅行
    ⑤餅つき大会
    ⑥年末年始夜警
    ⑦文化祭
  • 町会の日常の活動
    地域の問題を理事が拾い上げ、区長や各部長と相談して解決したり、理事会に報告して皆で解決策を協議したりしています。松波会館の運営は基本的には火曜~土曜 午前10時~午後3時まで行っております。松波会館の各部屋は町会員優先で貸しも行っております。
    また、各理事は次のいずれかの部に所属し、町民の生活向上や町の環境改善に努めています。
    ①総務部・・・関係行事の準備、事務手続き等。
    ②文化福祉部・・・文化的行事の企画・実行。
    ③環境衛生部・・・町の植栽やゴミステーションの整備。
    ④防犯防災部・・・防犯パトロールや防災に関する事項。
  • 公的機関との関係
    千葉市役所、中央区役所、警察などの公的機関からの周知文書の窓口となって、町民への回覧を行っており、これらの協力に対し、市からは交付金(行政協力費)が出されております。
    また町民から公的機関への要望事項が発生した場合には、窓口となって調整を行います。
  • 町会の収入
    町会員から頂く一世帯、原則として月300円の会費と市からの交付金(会員数に応じて支払われる行政協力費および防犯灯補助金)が主な収入となります。
  • 町会の支出内容
    町の防犯灯の電気料金や街路灯の修理費、公民館の運営費、人件費、各部の運営費、各団体への助成金などです。
    理事や町民の親睦会につきましては原則会費制で行われており、皆様からの浄財が飲食費に使われる様なことはありません。くれぐれも誤解の無き様に願います。
  • 夏祭りの収支
    収入は、町民からの「一般寄付」と、お店や企業、個人からの「特別寄付」から成り立っており、町会の一般会計からは独立して扱われております。
    支出につきましては、盆踊りのやぐらの設置と解体の費用、提灯維持費、のぼり旗作成、レンタカー、協力者への飲み物とおにぎり、参加する子ども達へのおみやげなどです。

松波町会の歴史

(1) 戦中、戦後の状況

大別して次の様な小区域の自治体組織があった。
A. 日立航空機株式会社の従業員住宅
B. 材料補給廠の軍需要員住宅
C. 親和会関係
D. 西千葉駅周辺地区

(2) 松波町会創立

戦後の復興の中、統一自治組織創立の機運が高まり、有志による準備が進められて、昭和31年7月、アンケートが実施され、賛成591票、不賛成160票、白票81票と賛成多数の結果を得た。
そこで、昭和31年8月5日、千葉商業高等学校講堂で創立総会が開催されて、町会規約、事業計画、
初年度収支予算、会費、賦課徴収方法、方面別区割り決定、役員選任等が審議承認された。
当時の世帯数は、1,089世帯、人口4,481人であった。

3. 歴代町会長・副会長

    年度         会長      副会長   副会長        副会長
昭和31年 藤木与吉  三浦文弥  小手正志
昭和32年 藤木与吉  三浦文弥  小手正志
昭和33年 藤木与吉  三浦文弥  小手正志
昭和34年 藤木与吉  三浦文弥  小手正志
昭和35年 藤木与吉   飯田 一
昭和36年 藤木与吉   斉藤春午  高原信哉
昭和37年 藤木与吉   斉藤春午  高原信哉
昭和38年 藤田簡士
昭和39年 棟朝文一
昭和40年 棟朝文一   飯田 一
昭和41年 棟朝文一
昭和42年 北島隆     野平弘三郎
昭和43年 野平弘三郎   高橋 保   三浦文弥  斉藤礼子
昭和44年 野平弘三郎   三浦文弥   高原信哉  柴山はつ
昭和45年 野平弘三郎   堀田義雄    小川明治  金杉こう
昭和46年 野平弘三郎   堀田義雄    磯野浩一  金杉こう
昭和47年 野平弘三郎   堀田義雄   前野正男   金杉こう
昭和48年 野平弘三郎   堀田義雄   前野正男   金杉こう
昭和49年 野平弘三郎   堀田義雄   細谷良治   金杉こう
昭和50年 堀田義雄    細谷良治    志太ゆき   金杉こう
昭和51年 堀田義雄     細谷良治   中村正太郎 金杉こう
昭和52年 堀田義雄    細谷良治   南 修治    金杉こう
昭和53年 堀田義雄     細谷良治  南 修治    己午高人
昭和54年 堀田義雄     照山 喬   己午高人   立石マツ
昭和55年 堀田義雄     照山 喬   己午高人   立石マツ
昭和56年 堀田義雄     己午高人   岩田 弘   内海米吉
昭和57年 堀田義雄        己午高人   岩田 弘   内海米吉
昭和58年 堀田義雄     己午高人   岩田 弘   内海米吉
昭和59年 堀田義雄     己午高人   岩田 弘   内海米吉
昭和60年 堀田義雄     己午高人   岩田 弘   内海米吉
昭和61年 堀田義雄     己午高人    岩田 弘   中村正太郎
昭和62年 堀田義雄     己午高人    岩田 弘   中村正太郎
昭和63年 堀田義雄     己午高人    岩田 弘   中村正太郎
平成元年 中村正太郎    高橋 隆     高橋 保   桜田平吉
平成2年   中村正太郎    高橋 隆     高橋 保   桜田平吉
平成3年   高橋 保        桜田平吉     勝山 一    宇井嘉久
平成4年   高橋 保        桜田平吉     勝山 一    宇井嘉久
平成5年   高橋 保        桜田平吉     勝山 一    宇井嘉久
平成6年   高橋 保        桜田平吉     勝山 一    宇井嘉久
平成7年   高橋 保        桜田平吉     勝山 一    宇井嘉久
平成8年   高橋 保        桜田平吉     勝山 一    宇井嘉久
平成9年   高橋 保        桜田平吉     勝山 一    宇井嘉久
平成10年 宇井嘉久  斉藤 明  勝山 一 森宮信男
平成11年 宇井嘉久  斉藤 明  勝山 一 森宮信男
平成12年 宇井嘉久  矢島英輔  鎌田辰夫 森宮信男
平成13年 吉田 武  矢島英輔  鎌田辰夫 森宮信男
平成14年 吉田 武  矢島英輔  高橋信美 森宮信男
平成15年 吉田 武  矢島英輔  高橋信美 三上雅敬
平成16年 吉田 武  矢島英輔  高橋信美 三上雅敬
平成17年 吉田 武  矢島英輔  高橋信美 三上雅敬
平成18年 吉田 武  矢島英輔  高橋信美 三上雅敬
平成19年 吉田 武  矢島英輔  高橋信美 三上雅敬
平成20年 三上雅敬  志太 稔  大野明二 芦沢東洋夫
平成21年 佐久間公忠 大野明二 芦沢東洋夫 坂巻一郎
平成22年 佐久間公忠 大野明二 芦沢東洋夫 坂巻一郎
平成23年 佐久間公忠 坂巻一郎 石田 甫
平成24年 倉又幸也 坂巻一郎 石田 甫
平成25年 倉又幸也 坂巻一郎 石田 甫
平成26年 倉又幸也 河野凉一
平成27年 石田 甫 河野凉一  岡本英美
平成28年 石田 甫 河野凉一  岡本英美
平成29年 石田 甫 河野凉一  岡本英美
平成30年 石田 甫 坂巻一郎 岡本英美
令和元年 竹下登志成 河野 凉一 小野寺佳子
令和2年 竹下登志成 安田敏夫 小野寺佳子
令和3年 竹下登志成 安田敏夫 小野寺佳子
令和4年 竹下登志成 安田敏夫 関文夫
令和5年 竹下登志成 安田敏夫 布施博孝

4. 松波町公民館建設の経緯 (令和3年より「松波会館」)

昭和32年の第2回総会に公民館建設の提案がなされたが、重要な問題なのでその場では決められず、改めて具体案を作って町会員全員の賛否を問うべきとの意見が強かった。
そこで役員会は、数度に亘り公民館の必要性、利用価値等について宣伝活動を行い、昭和33年2月以降、区ごとに世論調査を実施した。
結果は次の通り。
区割 賛成   反対   保留    計
1区     23      16       14      53
2区   125      11       54    190
3区   126     28         4    158
4区     –        –          –       –
5区    116      11               127
6区    132     58      22    212
7区      50     47     62     159
計       571   182    167   899
注:当時の区割りは現在と異なり、7区に分けられていた。なお、4区は現在の千葉商と県営住宅を合わせた地区で、県営住宅には独立した集会場があった。

町会最初の公民館は、第3回総会にて建設計画の提案・承認を受け、昭和33年12月17日、地鎮祭が行われ、蘇我中学校の校舎廃材を利用して平野工務店にて建築施工された。平屋建ての公民館で、26年ほど利用された後、昭和59年6月、次の2階建て公民館建設のために解体される。

現在の公民館は、昭和59年6月6日地鎮祭、同年10月31日落成式が行われ、今日に至る。